“開かれた教会”シリーズは厚木教会の週報と共に配られている「週報・こころのとも版」に齋藤牧師が毎週寄稿している文章です。
「こころのとも版」は現在毎週発行されています。下記の文以外にも様々な文が掲載されています。

開かれた教会341
「問安の旅」

 あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストのすべての教会があなたがたによろしくと言っています。(ローマの信徒への手紙16章16節)

 教会から正月休みとして一週間頂き、感謝しています。使徒パウロは、ローマの信徒への手紙の最後16章で、「きよき接吻(くちつけ)をもて互いに安否を問え。キリストの諸教会みな、なんじらに安否を問う」(ローマ16:16 文語訳)と、26人の名前をあげて、「安否を問え」とすすめています。名前の前にはそれぞれ一言のコメントがついています。口語訳、新共同訳は「よろしく、よろしく言ってほしい」と訳しています。広辞苑(第2版)にも「問安」という言葉は出ていませんから、「互いに安否を問う」から出た教会の言葉のようです。文語訳聖書を読む人が少なくなっても、「問安」は教会の言葉として大切にしたいものと思います。教会が証しうる大切なメッセージの一つを、端的に表す言葉ですから。お休みをいただいた時には、日頃 問安できない方を訪ねることを中心にプランをたてます。今回は「澄ちゃんに会って来よう」という家内の言葉からはじまりました。しばらくお会いしていない土屋澄子さんを、バリ島に訪ね、前後に高槻、奈良、京都によりました。

  1. 高槻への旅(1月21日 月)

     今、ロシヤの状況が非常に厳しくなっていることを新聞で読み、モスクワ大学でロシヤ宣教のため語学研修をしておられる河瀬先生(元厚木教会伝師)からお手紙やメールでも伺っておりました。ご両親はさぞかし心配しておられることだろうと、思っていましたので、お目にかかることとしました。高槻教会の教育館で、お母様、河瀬先生のロシヤ宣教支援の責任を負っていてくださる山口先生、事務いっさいをお世話していてくださる福田さんとお会いしました。五人で約一時間、親しいお交わりの時を持たせていただきました。お母様とも福田さんとも初対面でしたが、何の遠慮もなく、まるで旧知の友のように、主にあって語り合うことが出来たのは、主にある者同士の特権であると思いました。お母さんは看護婦さんで、とても明るい前向きの方で、熊本の御出身、熊本のミッションスクールに通われたとの事でした。生憎お父様にはお目に掛れませんでした。お父様のご家族は同志社出身の方が多く、信徒として教会に仕えておられる様子をうかがいました。福田姉は、年齢は私達より若い感じで、とても柔和で礼儀正しい方でした。お母さんと山口先生から河瀬先生の小さい時のことも伺いました。今、ロシヤでは、外国の宣教団体が直接ロシヤ人に伝道することが難しくなっており、河瀬先生は、日本語教師の資格を取って、ロシヤに再入国し、交わりを通して個人伝道を中心に宣教しようとしておられます。河瀬先生のために、最後に祈って皆さんとお別れして、奈良の親戚の家に九時前に着きました。
    高槻教会と山口先生には 家内の祖母の告別式をしていただき、大変お世話になったことがあります。

  2. 奈良(1月21日夜―1月22日昼まで)

     法隆寺の近くに家内の叔母と従妹の家で、一泊。もう九十歳になる家内の叔母を従妹二人でよくお世話をしておりました。デイケアに行く時、食事の時以外はほとんど寝ていました。家内は、生まれて間もなく父親が盲腸の誤診で天に召され、母一人子一人の生活を強いられ、母親は色々な仕事をしていました。この叔母と子供達(4人)は一緒に育ったようなものです。叔母は家内のもう一人の母親です。家内の母はこの叔母の姉で、いまだに苦しくなると叔母は、「お姉さん」と家内の母の名を呼びます。叔母と家内の母の心は固いきづなでしっかりと結ばれていることを知り、私は深く感動しました。関西方面に来る時には、家内が必ず叔母と従妹のところに寄って、皆と楽しそうに話し合っている理由がよく分かりました。長い間、その叔母の長女である従妹のために祈っておりましたところ、昨年のクリスマスに、近くの西大和教会で洗礼を受けました。洗礼を授けて下さった宮沢牧師が、たまたま聖書学院での私の教え子であったことの中にも、神さまの摂理を感じました。叔母のこともその牧師は覚えて祈ってくださり、訪問してくださったと伺いました。次の私達の祈りは、叔母が受洗することです。主が導いてくださるよう祈っています。

  3. バリ島への旅(1月23日―25日)

     1月23日の夜遅く、オーストラリアの北方にあるバリ島のデンパサール空港に到着いたしました。日本との時差はちょうど一時間です。宿舎(バリ・ハイヤット)に着いたのが夜中の二時頃でした。まず安全にホテルに到着できたことを主に感謝し、祈りを捧げました。
     朝食を終えた後、土屋澄子さんにお電話しましたら、すぐその日の午後に、ホテルまで同じダイビングスクールでインストラクターをしておられる現地の方、データさんが、車で澄子さんをホテルまで送ってくださいました。そこで、三人で、バリ島でどう過ごすか地図やガイドを参考にしながら相談しました。バリ島は南国の暖かいところにあり、世界的なリゾート地です。特にハイヤットの庭は広く、美しい砂浜の海岸に沿っていて、やしの木や、さまざまなめずらしい植物が育っていました。水は豊富で、ホテル内にもプールがいくつかあり、泳ぐことが出来ます。こんもり茂った木の下で 遠浅の静かな海を見ながら、ゆっくりと食事が出来るようになっておりました。翌日は四人で観光をすることになりました。
     バリ島にはヒンズー教徒が多く、佛教徒、イスラム教徒、キリスト教徒もいると聞いておりました。いくつかキリスト教会があると聞いていましたので、カトリック教会の会堂を最初に見に行きました。大きな美しい教会堂で、外観はバリ風でしたが、中はよくある古いスタイルの御聖堂でした。次に、バリらしい地域、ウブドに向かい、家具、彫刻、絵画などの職人さんのお店、地域での旧家などを案内してもらいました。バリ島の家は自然と共にあり、動物、特に犬、羊をよく見かけました。高地に美しい棚田あり、機械も牛も使わず、人間の手で年三回米を収穫できると伺いました。もう一つすごいなと思ったのは全島、やしの木より高い建物は建てないという法律を住民の手で作って来たとのことでした。たった一つ例外、日本の援助で建てられたという高層の建物がありました。最後に美術館を訪れました。いかにもヒンズー教、仏教、イスラム教の影響が見られる美しい絵、その他の美術品を拝見し、昼食をして帰路に着きました。
     わずか3日間でしたが、澄子さんとデータさんたちと一緒に食事をしたり、話し合ったりして、素敵に成長した澄子さんを知ることができて感謝でした。何事も、ゆっくり急がず、笑顔をもって物事が進んでいくバリ風の生き方は、今日の日本の都会の生き方より、ずっと進んでいるなあと感じました。

  4. 奈良・京都への旅(1月26日ー27日)

    奈良に帰り一泊して翌日、教会に3人で出席、宮沢先生にお礼を申し上げ、午後、京都に行きトローゼン真砂子先生のご両親、新井ご夫妻にお会いし、半年ぶりの再会で、楽しく、うちとけてお話できました。 お父様は私と、お母様は家内と同年の生まれであることを知り、一層の親しみを覚えました。目の手術をなさったそうですが、京都の寺社の案内はしっかり頭に入っているので、支障はないとのことでした。私達の時間の読みが甘く、そそくさと失礼せざるをえませんでした。心苦しく、残念に思いながら帰りました。夜九時半頃、牧師館に無事帰りました。留守の間も教会が守られ、すばらしい主の日を与えられたことを伺い、神様に感謝しました。皆様のお祈り御奉仕感謝いたします。