“開かれた教会”シリーズは厚木教会の週報と共に配られている「週報・こころのとも版」に齋藤牧師が毎週寄稿している文章です。
「こころのとも版」は現在毎週発行されています。下記の文以外にも様々な文が掲載されています。

開かれた教会342
「あなたと家族の者すべてを救う言葉」

 こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。(使徒言行録11章17・18節)

 異邦人伝道を終えて、ペトロがエルサレム教会に帰って来ますと、割礼を受けている極右的クリスチャン達から強い非難を受けました。

  1. さて、使徒達とユダヤにいる兄弟たちは異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。(1-2)

     ペトロがこの非難にどう答えるかによって、教会は混乱し分裂するか、それとも混乱が収まりエルサレム教会も異邦人教会も前進するかが決ります。感情的になって答えれば、教会は分裂の道をたどります。祈りと冷静さと真の知恵が必要です。
     ここには、前章に記されているペトロが見た幻と、その時に語られた神さまの言葉(10:9)が、丁寧に記されています。割礼を受けている民族主義的な、右よりのクリスチャンたちが、ペトロを非難したからです。非難は次のようなものでした。「あなたは、割礼を受けていないものたちの所に行き(革なめし職人シモンの家)一緒に食事をした」というものでした。これはユダヤ教では律法(法律)で禁じられていたものでした。
     この非難の背後にひそんでいる重大な問題を考えるなら、うっかりした答えはできませんでした。答え方次第によったら、教会は分裂し、エルサレム教会も異邦人の教会も霊的生命を失う危険がありました。そこで、ペテロは、まず、ありのままの事実を語りました。
     ペテロはエルサレム教会の最高指導者として、実に適切な答えをいたしました。

  2. そこで、ペトロは事の次第を順序正しく、事実を説明し始めました。(4−16)

     彼は、理論的、神学的説明を一切しませんでした。まず、ペトロは、ヤッファの町で祈っている時に見た幻を話りました。「わたしがヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって、幻を見ました。大きな布のような入れ物が四隅でつるされて、天から私のところまで下りてきたのです。その中を良く見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』という声を聞きましたが、私は言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れたものは口にしたことがありません。』すると、『神が清めたものを、清くないなどと、あなたは言ってはならない。』と、再び天から声が返ってきました。こういう事が三度あって、また全部の物が天に引き上げられてしまいました。」
     「神が清めたものを、清くないなどと、あなたは言ってはならない」という復活の主イエスのお言葉が、ユダヤ人としてのペトロの、異邦人に対する偏見を取り去るための決定的な言葉でした。その言葉が三度あったと記されていることは、このことを示しています。
     「その時、カイサリヤから、わたしのところに差し向けられた三人の人が、私たちの家に到着いたしました。」この不思議なタイミング、ここにも"霊"の導きが感じられます。これでシモンの家に行って食事をすることが正しいと、ペトロが信じた根拠が二つになりました。
     三つ目の根拠は、"霊"が更にペトロに『ためらわないで一緒に行きなさい』と言われたことです。ペテロたちが、異邦人コルネリウスの家に行ったことを証言する人たちが、そこに六人も来ていた事です。当時のユダヤの律法によりますと、ペトロを入れて七人の証人がいれば、法律的に、それらの人たちの証言は、法廷で認められたのでした。
     四つ目の根拠は、コルネリウスのところに天使が現れてみ告げがあったことでした。
     五つ目は最大の根拠です。ペトロが話し出すと、聖霊が異邦人たちの上に降ったことでした。五つの根拠のうちで決定的、最も重要な根拠は最後の二つでした。
     今朝のメッセージの題は、「あなたと家族の者すべてを救う言葉」(14)ですから、この聖句の深い意味を説明いたします。コルネリウスの家で、天使が立って彼に「今、ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる」と告げました。ユダヤ人の教会であるエルサレム教会の総理ペトロが、異邦人の家に行って、直接、個人的人格的にコルネリウスと彼の家族たちに、十字架と復活の主を語りました。彼と彼の家族全員が、その生ける力ある言葉によって救われ、彼らの上に聖霊が降り、洗礼を受けました。ここに絶対的、歴史的意味があるのです。
     NHKで水曜日の夜「歴史が動いた」という番組がありますが、この出来事は、まさに、「救いの歴史が動いた」瞬間でした。それまで長い間、対立してきたユダヤ人と異邦人が、主の十字架と復活の言葉を聞き、救われました。ユダヤ人の代表者ペトロが語り、異邦人の代表的人物コルネリウスと、異邦人共同体の代表コルネリウスの家族たちが、キリストの体である教会に招き入れられたのです。絶対にあり得ないことが起きたのです。ペトロが語った主の言葉によって、父なる神の霊である聖霊によって、異邦人コルネリウスと家族が救われました。ここに、対立しあっている世界のあらゆる民族・宗教・国々の赦しと和解と一致の道が開かれたのです。アーメン、ハレルヤ!三位一体の神に栄光あれ!
     その時、ペトロは「あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける」と言っておられた主イエスの言葉を想いだしました。この主イエスの預言は、ペンテコステ時の聖霊降臨の事実と、この異邦人のペンテコステといわれの歴史的事実によって、実現成就いたしました。

  3. こうして、主イエス・キリストを信じるようになった私達に与えて下さったのと同じ賜物を、神が彼らにも与えてくださる(17−18)

     「こうして」は、異邦人達に、また私達に与えられた聖霊の賜物を指します。神様は、ユダヤ人にも異邦人にも平等に、神の最高・最大の賜物(贈り物)として、聖霊の賜物をお与え下さったのです。これ以上に大きな喜び、栄光、特権はありません。三位一体の神を、心の底から全身全霊を持って賛美します。ですから、ペトロは言いました。「私のような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることが出来たでしょうか」と。この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って神を賛美しました。
     このペトロが「事の次第を順序正しく説明」したのを聞いたエルサレム教会の人々は、沈黙し、神を賛美しました。事実をして、そのまま語らしめるペテロの戦略は大成功を収めました。神の偉大な愛に感動し、イエスの十字架と復活の福音を信じました。彼らは腹の底から悔い改めて、命の根源である神に立ち帰りました、永遠の命を得て、死に打ち勝ちました。イエスの十字架の死、初代教会の最初の殉教者ステファノの死が、驚くべき結果をもたらしたのです。 アーメン