2008/04/27

牧者の言葉 − 「祈り支え合う教会」 11
08/04/20の講壇より − 「この救いの言葉」


牧者の言葉 − 「祈り支え合う教会」11

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先週の講壇より − 「この救いの言葉」

使徒言行録 13章26節−37節

齋藤孝志師

 「この救いの言葉は、わたしたちに送られました」。今日のメッセージです。パウロは、異邦人への記念すべきこの重要な説教で、聴衆に「兄弟たちアブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち」と呼びかけます。パウロはメッセージの第一区分で、聴衆がよく知っているイエラエルの救いの歴史を述べて、最後に「神は、約束に従って、このダビデの子孫から、イスラエルに救い主を送ってくださったのです」と救いの言葉を語りました。この救いの言葉は、兄弟・アブラハムの子孫と、神を畏れる人たちに送られたのです。神を畏れる人たちにとっては、何という大きな福音であったことでしょう。 ところが、27節で雰囲気が変わります。まず27節で、主語が、「神」からイエスを十字架にかけて殺した「エルサレムに住む人々」やその「指導者たち」に変わります。彼らは、救いの言葉の中心人物であるイエスを認めず、理解せず、イエスを罪に定めることによって、その救いの言葉を実現させたのです。死に価する理由は何も見出せなかったのに、イエスを死刑にするようにとピラトに求めました。イエスについて旧約聖書に書かれたことがすべて実現する為でした。人々は、イエスを木から降ろして墓に葬りました。
 しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださいました。イエスは、ガリラヤからエルサレムに上ってきた人々に、幾たびも姿を現されました。この人たちは今、民に対してイエスの証人となっています。わたしたちも先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音をつげしらせています。神を畏れる人々にとっても、わたしたちに取っても、このイエスの十字架の死と復活は、救いの言葉であります。アーメン